適切な境界線(以下バウンダリー)を引くことをためらう時に、よくある思い込みについての8つのお話です。
今回は前半4つをお話します。
自分勝手なこと?
1) バウンダリーを引くことは、自分勝手なことではないか
バウンダリーを引くことは相手よりも自分を優先するような自己中心的なことではありません。適切なバウンダリーがあってこそ、相手のバウンダリーを尊重した相手の立場に立った行動ができます。自分勝手なこととは、自分の行動が相手にとって良いことなのかを考えずに、ただこうしてあげたいという自分の気持ちや思いにこだわって、解決してあげたいと行動してしまうことです。
相手が望むことと、ほんとうに相手にとって必要なこととは違う場合があります。
例えば、働かない息子を守ってあげるとばかりに金銭を与え続けるようなことです。責任のない行動に愛はあるのでしょうか。本来必要なものは自分で得るものです。受け身でいて誰かが得たものを渡してくれるのを待つものではありません。自分の責任を取るのは自分です。自分の人生の責任は自分にあります。
見せかけではない思いやりのある人に共通しているのは、適切な安定したバウンダリーを持っていることです。適切なバウンダリーを引くことはもちろん、折に触れて見直しながら安定的に適切なバウンダリーを引いていくことが、自分にとっても相手にとってもたいせつです。
正直であること
2) 正直であることはたいせつなこと
はっきりせずに「ノー」と言えず「イエス」と言ってしまった後で、心の中がモヤモヤすることがあります。例えば、友人たちと次の休みの日にランチ会をすることになっていたところ、その週は仕事が忙しくてとても疲れていました。友人からの「楽しみにしている」とのメールに、適当に「私も楽しみにしている」と返信してしまいます。「疲れているので行けない。ごめんなさい」と言いそびれたのです。結局出席したものの楽しめずに更に疲れて帰宅することになりました。
バウンダリーがあやふやな為に、外面は素直に見えますが、内面では素直ではなく不満があります。友人を失うのではないかという怖れを隠す為に、適当な「イエス」を言ってしまいます。
怖れるより相手を信じて本音、本心を伝えることです。逆の立場であなたが相手の状況を知っていたら「無理しないで」と言いませんか?友人ならあなたに無理をしてほしくないはずです。
傷つけられる?
3) バウンダリーを引くと、相手に傷つけられるのではないか
そういった一面はあるかもしれません。
例えば、今まで相手と意見が違っているので自分の意見を遠慮して言えなかった人が、適切なバウンダリーを引いたことで相手に意見を伝え始めました。すると自分と違う意見を受け入れられない人、違う意見をもつ相手を尊重できない人が出てきます。意見に限らず相手の「ノー」を認められず、相手を尊重できない人がいます。
そういった人たちは、「イエス」を言う人、「ノー」と思っていても相手に気に入られようとして意見を合わせる人だけを受け入れます。
バウンダリーを表明して意見を伝えてみた時に、自分とは違う意見から学ぼうとする人であるか、あなたの言うことに嫌悪感を持って自分の思う方へと操作しようとする人かがわかります。相手がどういう人か、相手との今までの関係がどうだったのかがはっきりします。このように適切なバウンダリーを引くことは人間関係の質の判断基準になります。愛ある人は相手を尊重しますが、支配しようとはしません。
そこから相手とより親しくなれる関係を築けるか、親しくなれない関係かがわかります。結果としてあなたを傷つけたり、離れていってしまうこともあるでしょう。しかし、適切なバウンダリーを引かずに相手に意見を合わせて付き合い続けてどんな人かを知らずにいるよりは、どんな人かを知ったことで、相手から離れてお互いに相手を尊重できるような新たな人間関係を築いていく方が、自分らしく生きることができるのではないでしょうか。
傷つける?
4) バウンダリーを引くと相手を傷つけるのではないか
バウンダリーは自分にできることの限界を示します。示した限界が相手の思いや期待に反して傷つけてしまうのではないかと思うのです。
例えば、あなたにいつも相談事を持ちかける人、寂しいからといって呼ぶと来てくれると期待している人、経済的に苦しい時に助けてほしいという人がいるとします。人は傷つけたくない人に対して、なるだけ相手の望むことを叶えたいという気持ちを持っています。そうは言っても必ずしもあなたが相手の望みを叶えなければならないものではありません。相手の望みが例え助けなければならない状況であっても、些細なことであってもです。
自分にも日々いろいろなことが起こります。体調の悪い時もあれば、休みたい時もあれば、時間的や金銭的に余裕のない時もあります。いつもいつも助けなければならないことはありません。助けることが当たり前ではありません。あなたが断った時に相手の期待通りにならなかったからといって、あなたが責められることはありません。
相手も自分に必要なことは、自分で準備する必要があります。例えば、支援がどうしても必要なことには、支援してもらう人を複数持つことや、経済的に安定するように準備しておかなければなりません。それは相手がすることです。良かれと思ってしていることがいつの間にか相手の為にはならず、むしろ相手の生きる力を削ぐことになったり、助けられることが当たり前になって感謝を持つことができなくなったり、あなたが思うように動かないことで相手を不機嫌にさせるという結果にもなりかねません。あなたがしてきたことでさえあだになることがあるのです。そのような人との関係をあなたが受け入れなければならないことはありません。何とかするのは相手です。
適切なバウンダリーを引くことは、自分にとっても相手にとってもたいせつなことです。
バウンダリーは自分と相手を区別するために引く線ですが、自分と相手とを隔てる壁をつくるイメージではありません。必要な時には自分の意思で動かせるものです。
参考文献 「境界線」 ヘンリー・クラウド、ジョン・タウンゼント著
「心の境界線」 ネドラ・グローバー・タワブ著
今回のお話の後半4つは、次回「境界線(17)」に続きます。