境界線(15)

今回は、境界線(以下バウンダリー)が育まれない家庭で育った人たちのお話です。

子どもが完璧に健康的な家庭で育つことは難しいのかもしれません。また養育者が人生で起こる諸問題を乗り越えながらも、そこそこ健康的な家庭で育つことができればよいのですが、それが叶わないこともあります。

 

例えばアルコール依存、ギャンブル依存、ドメスティック・バイオレンス(配偶者や恋人など親密な関係にある人から振るわれる暴力のこと。以下DV)等々の人がいる問題のある不健康な家庭に育った場合、家庭内で適切な境界線は存在せず、バウンダリーについて学習することもできません。

子どもの苦しみ

不健康な家庭で、バウンダリーを知らずに育つというのはどういうことでしょうか。

 

問題のある不健康な家庭では、子どもは安心できず常に緊張したストレスフルな中で生活することになります。個人差がありますが大体6歳くらいまでの子どもの特性に「幼児期の自己中心性」があります。まだ家庭の事情を客観的な視点に立った見方ができず、家庭内で起こっている問題は自分のせいだと思ってしまいます。その為、家庭の中で起こっている問題を「自分が何とかしないと」と背負い込むことになります。おとなの問題で起こっている家庭の不和を子どもが背負えるわけではないですし、背負う必要もないのですが、家庭を壊すまいと必死に守ろうとします。

DVはわかりやすい例ですが、暴力がない家庭環境でも、子どもが自分は親を守るべき存在であり、自分が守らなければ家庭が壊れるとの思いをもってしまう家庭環境で、守られるはずの子どもではなく、幼いながらに親を守る役割を背負って子ども時代をスタートした人は、どのような影響を受けるのでしょうか。またその後の人生にどのような支障が生じるのでしょうか。

①感情の抑圧

いつ壊れるかわからない家庭環境の中では、心の中心に自分を置くことができません。子どもの心の中心に置かれているのは、家族の中でアルコール依存や暴力をふるうといった問題のある人たちやそのことで困っている人、そこまで調整役を担っていない兄弟姉妹たちです。その為子どもらしい感情や欲求を持つことが妨げられています。あるはずの感情や欲求が抑圧されていることは後々生きづらさにつながります。

②自責の念

家庭の問題を子どもがなり代わって解決できるはずもなく、前述の「幼児期の自己中心性」によって、自分のせいだと思っている問題を必死になんとかしようとして、一時的に家庭の緊張がほぐれてもまた家族によって引き起こされる問題が繰り返され、解決されないことに結局はうまくいかなかったと自分を責めてしまいます。こうして自分に責任のないことまで、自分の責任だと抱え込んでしまう思考の土台が出来上がります。自責の念はうつ病の症状のひとつですが、元々自責の念の強い人がうつ病に罹りやすいと言われています。

➂自分の気持ち

不和な家庭の中で調整役を担っているので、自分の気持ちを感じるより先に、相手の気持ちを読み取ろうとします。そうして自分の気持ちよりも親の気持ちを優先してきています。

相手の気持ちを思いやることはたいせつですが、本来気持ちは本人にしかわからないものなのにもかかわらず、相手が求めているだろうことに添った行動をしようとします。

おとなになっても相手の気持ちを読み取ることを優先し、自分の気持ちや本音はよくわからないということになります。

④自分の基準

自分が役に立っているかどうかと思いながら生活してきたので、自分の幸せの基準を「外的価値」つまり外側に求めてしまいます。例えば「人に認められたい」などです。

自分の幸せの基準が自分の中にないので、人に認めてもらえなければ自分には生きる価値がないと思うのです。「内的価値」は、人からの評価に関係なく「自分がどう生きたいか」を基準にしているので、自分が幸せかどうかは他者の評価ではなく自分で決めることができます。

 

「外的価値」も必要かもしれませんが、「内的価値」があって次に「外的価値」を求めるのが順序です。

⑤自分を棚上げ

親の心の痛みも自分の痛みとして感じてしまいます。その痛みは子どもにとってとてもつらいものです。その痛みをなんとかしようとして頑張るわけです。

おとなになっても自分のことを棚上げして相手のことが気になります。例えば自分の健康より、相手の体調不良が気になります。問題がある状況の人には相手の抱えている問題をなんとかしてあげたい、私がなんとかすると思うのです。

自分の責任の範囲がわからないので、自分が責任を取らなければならないことなのか、相手が責任を取ることなのかがわかりません。その為、自分のとるべき責任は取らないにもかかわらず、逆に自分の責任の範囲を越えて相手を助けようとします。それは相手にとっても助けにはならないことが多いのです。

⑥執着と依存

人に助けを求めることが難しい状況の中にいる子どもは、仮に人の助けを求めても、相談した相手が悪ければ「親も大変だから」などと言われてしまい親の肩を持たれたりする場合や、誰かに相談することで余計に家庭がもめてしまい、自分が責められることにもなりかねません。結局は「誰も助けてくれない」と、自分ひとりで背負い込んで頑張ってきたので、おとなになって誰かとつながることができた時には、執着して相手を失うことが怖くて相手にしがみついてしまう、相手と離れたくても離れられない依存関係ができてしまうことになります。

⑦刺激を求める

平穏ではない刺激の多い家庭環境で育ってきているので、健康的で、平穏無事な生活を物足りなく感じることがあり、わざわざ社会生活に問題のある人との人間関係を好んで選んでしまいます。健康的な人間関係を選択することが難しくなります。

例えば、他の人なら逃げ出すような夫婦関係であったとしても、相手に「自分があなたの立場だったらとっくに逃げ出している」と言われながらも、逃げ出す選択肢はありません。それがその人にとっての普通なのですから、相手を駄目にしている根源だと気づくのではなく、自分は相手を支えていると信じています。

このように子どもの時に身についたことは、おとなになってからも変わることなく続きます。

人間関係にとてもたいせつな適切なバウンダリーを引くことが難しくなります。

しかし、適切なバウンダリーが引けたなら、今まで身につけたことがすべて悪いということはありません。

それを生かしていくこともできるはずです。

参考文献 「境界線」 ヘンリー・クラウド、ジョン・タウンゼント著

「その後の不自由」 上岡陽江・大嶋栄子著

 

次回「境界線(16)」に続きます。