境界線 (14)

タイトル境界線⑼から「境界線(以下バウンダリー)の十の法則」として「人生を考える時の基礎となる原則」を紹介してきました。

前回の「妬み」・「行動」の法則に続いて、今回は十ある法則の内の十番目「開示」の法則です。

人はひとりだけでこの世に存在しているわけではありません。人との関わりの中で生きています。

バウンダリーを引くことには、あなたがあなたであることを相手に示す役割があります。

 

バウンダリーを機能させるには、あなたのバウンダリーを相手に知らせる必要があります。それにはあなたのことを相手に率直に言葉で伝え、あなたについて明らかにします。言葉で伝えることはとても重要なことです。心を通わせようとお互いを理解するためには、バウンダリーの開示が必要不可欠です。

開示できないわけ

ところが伝えるというシンプルで簡単なことが意外と難しいのです。

何故なら私たちは伝えることに怖れを感じるからです。怖れを感じるので、自分について伝えることよりも隠そうとしてバウンダリーを開示できません。

例えば

嫌われるのではないか、愛される価値がないのではないか。

孤立するのではないか。

認められていないのではないか。

軽んじられて、怒りの矛先がいつも自分に向けられる気がする。

人に知られたら幻滅されるのではないか。

などと思っていると、怖くて自分について率直に伝えることが難しくなってしまいます。

 

ありのままの自分では愛されない、人が離れていくと思い込んでいます。

開示できない時

怖れるが故に相手にバウンダリーを開示して言葉で率直に伝える代わりに、感情を隠したり、遠慮したり、離れていくことを選びます。

例えば

イライラをぶつけたり

心にもない行動をとったり

密かに悲しみや怒りをこらえたり

こっそり恨んだり

内心でがっかりしたり

病気で表現したり

などします。

私は寂しいという代わりに、相手にイライラして怒りをぶつけたりするのです。

ありのままの自分を認められていないので、自分の本心を伝えることをむしろ相手に負けてしまうことのように感じることもあります。そうして本心を伝えることなく破綻します。

 

最も代表的な破綻の例が、ある日突然相手から別れを告げられる恋人たち、離婚届を突き付けられる妻や夫です。

怖れの正体は

人は何故バウンダリーを相手に言葉で伝えることに怖れを感じ、簡単にコントロールされてしまうのでしょうか。

そういった怖れを持った背景には、ありのままの自分では駄目だと思い込むだけの原因があります。それは紛れもなく今までの人間関係によってつくられたものです。

 

人は怖いものには目を覆う習性があります。自分の心の中をみることが怖い心理が働いています。

怖さを解消するには漠然とではなく、丁寧に自分を知ることです。自分と向き合い、自分の感情、気持ちをしっかりとみていく必要があります。自分の心の中を覗いてそこに何があるかをしっかりみてみると、案外「そうなんだ」「なーんだ」と怖くなくなります。それはあなたを癒すことにもなります。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ということわざがあるように、怖いと思っていたものは枯れたススキだった。怖れていたものはみてしまえば、怖れるほどのものではなかったということです。

仮に怖れるものであったとしても、みないでそのまましておくと怖れから抜け出せません。

 

その時に必ず自分の心の中にある肯定的に受け入れられるものも、否定的に受け入れがたいものも両方しっかりとみます。それが等身大のあなたです。

今、ここから

自分からは逃げられません。「あなたはあなたです」。

 

自分を知らないままでこうありたい自分、なりたい自分を演じようとするのでますます苦しくなるのではないでしょうか。人生をこじらせて、難しくする必要はありません。「あなた自身」を受け入れながら「なりたい自分」があるなら、「なりたい自分」になれるよう自分を磨いていくしかありません。それは実りある努力です。

人は皆、成長過程にいます。自分と向き合ってありのままの自分を受け入れ、良好な人間関係の中で癒され、気づき、成長していきます。良好な人間関係にはバウンダリーが機能しています。すべては自分を知り、受け入れることからです。「あなたがどんな人かを表現できる人はあなたしかいません」

 

ひとりで自分の心の中を覗くことが怖い時には、カウンセリングをご利用ください

参考文献 「境界線」 ヘンリー・クラウド、ジョン・タウンゼント著

 

次回「境界線(15)」に続きます。