「境界線」とは、自分と相手とを区別するために引く線のことです。例えば土地の境界線であれば、目に見えるかたちで自分の土地と相手の土地を分けることができますが、人と人との「心の境界線」(バウンダリー)は目に見えないので意識する必要があります。
自分が自分らしくありながら、健全で良好な人間関係を築いていくためには、自分が関わっている人との心地よい距離を自分で決めることがたいせつです。「境界線」が引けていないと、人と適切な距離をとることができません。
人との距離は自分が決める
人との距離はずっと変わらず一定しているものではなく、近くなったり遠くなったりするものです。距離を取り直していくことも必要です。自分が相手といて心地よいと感じているのかどうかを基準に、心地よい距離をあなたの感受性で決めます。もちろん相手にも、あなたとの距離の取り方があります。距離を変えてみて新たに相手のよさを見つけられたり、はじめて気づくこともあるかもしれません。時には距離が遠く離れて、ご縁がなくなることもあるかもしれません。
ゲシュタルトの祈り
ドイツの精神科医、フレデリック・パールズの「ゲシュタルトの祈り」です。
私は私の人生を送り
あなたはあなたの人生を送る
私はあなたの期待に応えるために
この世に存在するのではなく
あなたは私の期待に応えるために
この世に存在するのではない
私は私で あなたはあなた
そこでもしお互いが偶然出会えば
それは素敵なこと
もし出会わなくても それもまあ良いこととしよう
私とあなたが、私たちの基本
一緒にいてはじめて世界を変えられる
(引用元:日本ゲシュタルト療法学会ニュースレター№12
ゲシュタルト・インスティテュート岡田法悦氏掲載より)
「ゲシュタルトの祈り」は、心の境界線(バウンダリー)を表していますが、
なにか突き放したような冷たさを感じる方もおられるかもしれません。
境界線を意識する
例えば、子どもが病気になった時、親は自分が子どもの代わりになれたらと思うことがあるかもしれませんが、体がひとつではない限りその願いは叶いません。心も同じです。目には見えないけれど境界線(バウンダリー)があります。自分と人の心は混ざることはありません。「私は私で あなたはあなた」です。「心の境界線」(バウンダリー)は見えないからこそ意識する必要があります。
苦しいのは何故?
家族など身近なたいせつな人との関わりで、相手の立場に立って考え、自分事として相手のことを思うのは自然な心の動きでしょう。ましてやお互いに相手を苦しめるような関わりを望んでいるわけではないのにもかかわらず、現実は身近なたいせつな人との関係にこそ、苦しくなってしまうことがあるのではないでしょうか。
しんどくなったり苦しくなったりしているのは、相手の期待や役割をあなたが背負ってしまっているのかもしれません。どの人の人生も本人にしか生きられません。相手の期待や役割をあなたが背負わないためには、家族・友人・仕事などの関係性で「心の境界線」を意識して、人との関わりの心地よい距離感を選択していくことです。
次回、「ロジャーズのひとりごと 境界線⑵」に続く。