コロナの時に⑯希望

コロナも完全には終息していないものの第5波を乗り越え、これからの社会を考えて一票を投じる衆議院議員総選挙が目前です。個人のこれからも、それぞれの人が「こうありたい」という思いをもって、それに向かって「行動していく」ことで道を新たに拓いていくことになります。

たいせつにしているもの

私が人生でたいせつにしていることに「愛」があります。それと同じくらいにたいせつなものは「希望」です。

どんな絶望という「暗闇」の中にあっても、「希望」という「ひかり」を見失わなければ生きていける。もし「暗闇」にしか見えない世界に放り込まれたとしても、「ひかり」があると信じられる強さを持ちたい。「希望」という目標がなければ人生は道に迷ってしまう。

そんな思いを持っています。「希望」こそ生きていくちから、人生という道を切り拓いていくちからになると信じています。人生の一寸先はわかりません。わからないからこそ予測がつかないからこそ「希望」という幸せへの「ひかり」を見失わないことがたいせつなのではないでしょうか。

パンドラの箱とは

慣用句に「パンドラの箱」があります。

「パンドラの箱」とは、「開けてはならないもの」の例えです。

「触れてはいけない話題」や「関わってはいけない物事」のことです。

 

「パンドラの箱」を開けてしまうとは、そういった話題や物事に触れてしまうことです。

ギリシャ神話「パンドラの箱」

ギリシャ神話に「パンドラの箱()」の話があります。

 

全知全能の神、ゼウスから送られた「決して開けてはならない」と言われていた箱()をパンドラという女性がふたを開けてしまいます。開けた箱の中から病気、憎しみ、妬み、嫉妬、悲しみ、恨み、盗み、裏切り、不安、争い、後悔 といったありとあらゆる禍が、黒い霧と一緒に飛び出してきました。禍のなかった世界に、禍が広がっていったのです。パンドラは恐ろしくなって急いでふたを閉めましたが、中は空になっていました。その後、パンドラは箱の中から「ふたを開けてください。私は希望です」という声を聞きます。恐る恐る箱のふたを開けます。すると希望の女神が現れたという話です。

希望の意味するところ

希望を意味する古代ギリシャ語の「エルピス」には、「予兆」「期待」という意味もあり、

希望の解釈には諸説あります。

「希望」をよきものとする説とは

「きっと良いことがあると、人生の困難も希望があれば前に進んで行ける」という捉え方です。

「希望」も禍とする説とは

「悪いことしかないかもしれない、こんなはずじゃなかったと、予兆や期待が残っているばかりに、諦めて受け入れることができず、何をしても一生苦しいままと思い込んでしまう」という捉え方です。

捉え方、考え方次第

何事も捉え方、考え方次第で結果は大きく違ってきます。捉え方、考え方は人生を左右します。人間はいろんな側面をもった多面体です。多面体な人間が歩く人生で日々起こることも多面体です。

思い込むことなく、いろんな方向から人のことも自分のことも、物事もみていく方が自然なのではないでしょうか。

自分をいろんな方向から見ていくと、今自分にあるもの、既に持っている生まれつき持っている素晴らしいものがあることに気づけます。自分には何か足りないと思って、何かを身に付けようとするより先に、今自分が持っている素晴らしいものを生かしきった方がいいです。それがあなたらしさだと思います。新たに身に付けることは、後でもよいのではないでしょうか。

 

残酷な話ですが、パンドラの箱に入っていたすべてものは、人を成長させるために神様から与えられたものなのかもしれません。それが生きるということなのかもしれません。

そのような解釈をしたら、やはり「希望」はよきものとする捉え方をしたいです。

パンドラの箱の底には「希望」が残っていました。絶望という暗闇の中にあるひかりになかなか気づくことができないように、「希望」があることに気づかなかったとしたら、ないものとしてふたをされたまま底に残っていたかもしれません。暗闇の中にもひかりは常にあります。

あなたは、暗闇の中にひかりをみつけることができるでしょうか。

希望に気づくことができるでしょうか。

「希望」も幸せも気づかなければ、ないことになってしまいます。

「希望」も幸せも気づかなければ、手に入れようがないものだと思います。

 いいことがあるかもしれないと思って一日、一日を過ごしたいですね。