1月も半ばを過ぎましたが、今年のあなたの初夢はどんな夢でしたか?
初夢は「一富士、二鷹、三茄子」をみると良いと言われています。
「富士は不死」「鷹は高い」「茄子は物事を成す」の語呂合わせで縁起が良いということですね。今年の初夢をまだみていませんが、「一富士、二鷹、三茄子」の初夢を今まで見たことがありません。
記憶にある縁起良さそうなことは、太い茶柱が二本たったこと、二個くっ付いた大きなみかんに、おまけにりっぱな葉が付いていた時には、「おーっいいね!」とうれしかったものです。
縁起担ぎも程々に、「日日是好日」、「一日一生」、「運も実力のうち」と生きています。
初映画「えんとつ町のプベル」
今年の初映画は「えんとつ町のプベル」。
当ブログ「ロジャーズのひとりごと」2019年10月1日テーマ「笑いのよさ」で紹介している絵本「えんとつ町のプベル」です。
一冊まるごと読むことができます。まだの方はこちらからどうぞ。
映画「えんとつ町のプベル」は全10章からなっていますが、絵本はその3~5章を中心に構成されています。
プベルとルビッチが出会い、ともだちになるはじまりのところから最後まで感動して泣きっぱなしの映画。それほど物語に入っていけたのは、ひとつには「この声でなくちゃ!」と思うほど、すべての声優さんの声と登場人物像が一致していた映画でした。
えんとつ町は煙突だらけ。
そこかしこから煙が上がり、頭の上はモックモク。
黒い煙でモックモク。
えんとつ町に住む人は、青い空を知りません。
輝く星を知りません。
「星なんかあるわけがない」「そんなものを信じてるのかよ」嘲笑う町の人達に、
少年ルビッチは勇気を振り絞って言い返します。
「誰か見たのかよ。誰も見てないだろ?だったら、まだわかんないじゃないか。」
映画を作った西野亮廣さんの念い(おもい)
「えんとつ町のプベル」の作者西野亮廣さんは言います。
「星なんかあるわけがない」「そんなものを信じてるのかよ」嘲笑う町の人達に、
少年ルビッチは勇気を振り絞って言い返します。
「誰か見たのかよ。誰も見てないだろ?だったら、まだわかんないじゃないか。」
『アフレコ収録でその声を聞いた瞬間、これは100年に一度のウィルスに襲われ希望を失った2020年に、強く響くメッセージになると確信しました。
確かに今はまだ光は見えないけれど、だけど、結論を出すには早すぎる。まだわからない。まだ、やれることがあるハズだ』
『「映画えんとつ町のプベル」は、頭の上を覆う黒い煙を晴らす物語です。
この物語が、この物語を届ける僕らの姿勢が、懸命に生き延びる人達への応援歌になり、いつか、また晴れるといいな』 と。
(西野亮廣「ゴミ人間 ―日本中から笑われた夢がある― より引用)
ふたつのちから
今、「緊急事態宣言」が出ている第三波コロナ流行の時こそ観る意味は大きいと思います。コロナ流行にあって、たいせつなことは希望を失わないことです。
コロナの時を生き抜くためには、「ネガティブ・ケイパビリティ」答えの出ない事態や不安に付き合う力と自分を信じる力、つまりここからどうして生きていくかを一から自分に問いかけ、決断し、行動していく力のふたつが必要だと思います。
ネガティブ・ケイパビリティ
イギリスの詩人キーツが19世紀に提唱した「ネガティブ・ケイパビリティ」は、
ハウツーのような理論ではなく、コロナ流行の現在のようなどっちともつかない状態を回避せず耐え抜く力です。それを身に付けるには、例えば国が経済と感染症対策の両方をしていく、個人にあっては、今までとは違って直に(じかに)人とも触れ合う機会が少なくなった不自然な状況の中で、メンタル面を守ることと感染症対策を両立していくことを意識することだと思います。
自分への信頼
コロナを経験したこれから、ここからの新しい時代をどう生きていくかは、自分ととことん向き合い、自分の価値観によって生きる方向を決断して、動いていくしかありません。決断して動いていくことで、必要な情報やチャンスが集まってきます。それを私は運と呼んでいます。
前へ前へと進んでいく
自分の人生の舵を大きく切ることになった今、生きる力のつく時ではないでしようか。コロナで自分の人生を見つめなおす機会を与えられたのです。
どんな人も100年に一度の禍の今、コロナに圧倒されることなく前へ前へと進んでいくしかありません。やることはたくさんあります。じっとしてはいられません。
向こう側にあるものを信じてみませんか。
黒い煙の向こう側に何があるか、見に行ってみなければわかりません。
動き出さなきゃ始まらない。
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